境界線

人間は、「自分」と言う概念を、はっきりと理解しないままで、
「ここまでが自分」
「ここからが他人(自分以外)」と、
「境界線」を引きます。

前提として、私たち「人類」は、
壮大な「宇宙」の一部の「地球」に生息している「生命体」の一部です。


一つの地球のなかに、太古の昔より、
鳥や魚、動植物など様々な生命が息づいています。


その中で、「人間」は「自分」と「それ以外」の様々な境界線を作りました。



例えば
ここは「自分の家」です。または「自分の土地」です。
勝手に入ってこないで下さい、入ってきたら警察を呼びます。

と言う論理が当たり前に通ります。


もっとスケールを大きくすると、
「ここは日本です」「ここは韓国です」
お互いが行き来するためにはパスポートと入国の許可がいります。


という論理も誰も疑わない約束体系、秩序として成立しています。



しかしあくまでこれは「人間だけ」で成立する約束体系であって、
空を飛ぶ鳥に、国境線は関係ないですし、
家の中に入ってくる「虫」や、もっと言うと「風」や「水」には関係ありません。


観点を「人間」以外に移動します。
「犬」は散歩をしながら、自分の縄張りとしておしっこをしてマーキングしていきます。
「ここは俺のテリトリーだ!」と。


しかし「人間」にとっては、この「犬」の間で成立している境界線の約束体系、
秩序はまったく関係ありません。


このような境界線は、目に見えるものだけではありません。
宗教や思想、哲学などにも当てはまります。


「豚肉を食べてはいけない」「虫を殺してはいけない」など、
信仰している宗教、哲学によって、まったく異なる「これはして良い」「これはしては駄目だ」という「境界線」と約束体系、秩序があり、いずれの境界線もその宗教、思想を信仰してい無い人にとっては、まったく関係ないものとなります。


これは企業活動においても同じです。

A社では、出社時間は8時、B社では、出社時間が10時だとします。


この場合、私が9時に出社をしたとしたら、
A社では「8時に出社」という約束体系を守らなかったために怒られ、
B社では「10時に出社」という約束体系よりも大幅に早く出社したため、
褒められるかもしれません。

このように「時間の境界線」も存在します。


ありとあらゆる事柄に対して境界線を引くのが人間であり、
それらの境界線の意味と価値を深く考えることなく、
無意識に振り回されている点が非常に多いのが事実です。