約束規定

人間は、条件によって認識が変化してしまう、
不完全な五感覚の機能を通じて、物・存在を認識します。
つまりその物・存在を「ありのまま」には認識できません。


そして、物・存在を「ありのまま」に認識をしない上で、
それらの物・存在に名前をつけ、用途・機能・目的・意味を勝手に規定(約束)します。


たとえば、「これはblogだ」とこの記事の存在に対して名前をつけ、
もしこのblogを「これは手紙だ」と言ったら、約束体系からずれるために、
「それは変だ」「手紙とはこういうもので、blogとはこういうものだから、間違っている」
など、コミュニケーションは頓挫します。


「コーヒーカップ」で「ワイン」を飲み、
「ワイングラス」で「コーヒー」を飲む。
「スプーン」でご飯を食べ、
「箸」でプリンを食べる。



どちらも、違和感を覚える、または非常識だと感じるのは、
それぞれ名前の付いた存在が、共通の規定(約束)を果たす事を期待されており、
上記がその約束規定から反しているためであると言えます。

さらに人間は、それらの約束規定した存在同士を比較し
関係性と価値を決定します。


例えば、
名称:コーヒーカップ
用途:コーヒーを飲む
機能:コーヒーを入れて保存できる
目的:喉を潤す
価格:1,000円
とし、

これに対して
コーヒー自体は
スターバックスなら400円、
ドトールなら200円
缶コーヒーなら100円
など、無意識の約束規定の中で、
価格が決定し、私たちはそれぞれの判断基準、期待に基づいて、
価格の異なるコーヒーを選択し、満足したり、不満になったりを反復しています。


これらの「約束規定」は、規定(約束)する、遂行される、
規定(約束)する、遂行されるを繰り返し、
「●●なら、こうするべきだ」という「束縛体系」へと繋がっていきます。